初めて技術記事を投稿した
先日、技術情報の共有サイトにて当ブログの開発の解説記事を投稿しました。
Vue.js+Firebaseで作ったSPAをNuxt.jsとCircleCIでJamstack化した
これが実質初めてのアウトプットになるのですが、このような場に記事を投稿するのは正直怖かったです。
(以前noteにちょっと書いたときはあった)
理由はいくつかありますが、最も大きなものは、
間違っていたらどうしよう
です。
技術情報の共有サイトでは、常に誰かが情報を発信し、その内容と関連した悩み等を持つ人が記事を見つけ、参考にしたり問題を解決する、といった流れがよくあります。
発信することで、そのコミュニティに対して貢献できます。
しかし、発信した内容に間違いがあると、それを見た人は問題を解決できず困ることになります。
また、その分野に詳しい人が間違いを指摘したり、稀に非難されることもあるようです。(炎上したりも……)
自分の知識はまだ浅いため、間違っていたらどうしよう……と思っていました。
Q. 間違えるのは悪いこと?
私は「間違える」ということに対し、非常に敏感です。
他人のせいにするような書き方になりますが、私は「間違えてはいけない環境」で育ちました。
学校の勉強やスポーツ、日々の生活、全てにおいて間違えたら怒られたり、誰かにバカにされたり、笑われたり、そんな環境で育ちました。
もしかしたら、結構よくある環境かもしれませんね。
この環境で育ったため、間違えるのは悪いこと という固定観念が私には植え付けらています。
この固定観念により、私は間違えることに怯えるようになります。
今でも何か新しいことをしようと思っても、自然と「間違えたら……」「失敗したら……」となかなか手が進まないことが多々あります。
また、次第に間違いを隠したり、嘘をついてごまかすような悪い癖を生み出しました。
「悪いこと」は誰かに見つからない限り、「悪い」とは認識されません。
昨今のニュースでも度々不正やミスが発覚し、日々話題になっていると思います。
みんな私と同様に、間違えることは「悪い」と認識し、それを隠したり、ごまかそうとしています。
間違えたらどうする?
そんな世の中ですが、とある友人と話していた時、彼はこう言いました。
「仕事で失敗しても殺されるわけじゃない。」
「失敗したら謝ればいい。」
「仮に失敗して殺されるのならば、その時はその時。」
確かに。
人間が間違えるのは当たり前であり、もし間違えたとしても修正できます。
やってしまったことは変えられないので、間違いに対してどうするかと言えば、「ごめんなさい。」するしかありません。
また、仕事ではほぼないと思いますが、その間違いが許されず、殺されたとしたらまあしょうがないね、という考えでした。
(友人曰く、3つ目の考えはあんまり多用しないほうがいいそう。)
この三段構えの思考は自分にとってすごく響き、とりあえずやるだけやってみるかと思えるきっかけとなりました。
友人よ、ありがとう。
アウトプットの重要性
さて、そんなこんなで間違えることに対する考えが変化した私は、重い腰を上げて当サイトの開発の解説記事を書き始めました。
解説記事を書くにあたり、基本的には自分のやった事を綴っていくだけですが、
「あれ?この実装、上手く説明できないな……」
ということが何度かありました。
今までは、ただ実装して動くものを作っていただけですが、いざそれを誰かに伝えようとしても、わかりやすい言葉に変換できない場面があります。
相手にわかりやすく伝えるためには、その内容をざっくりではなく、細かく理解した上で、相手が理解できる言葉で伝える必要があります。
これがアウトプットが大事と言われる所以なのだと、体感しました。
これからも間違いを恐れず、アウトプットしながら理解度を深め、言語化するスキルを伸ばしていきたいですね。
終わりに
2回目の記事にしては少し長くなりましたが、以上になります。
まだ文章を書きなれていないので、筆が遅いし言葉選びが難しい……と思う日々です。
では、また次の記事で。